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僕も大人になるから

[ウミガメのスープ]

ずっと笑顔だったカメオの顔に出来たシワが元に戻らなかったのは、息子のシン太郎が珍しく勉強を始めたからだという。
いったいどういうことだろうか。


出題者:
出題時間: 2019年3月6日 19:05
解決時間: 2019年3月6日 19:10
© 2019 エルナト 作者から明示的に許可をもらわない限り、あなたはこの問題を複製・転載・改変することはできません。
転載元: 「僕も大人になるから」 作者: エルナト (Cindy) URL: https://www.cindythink.com/puzzle/2967
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***答え***
笑顔で写るカメオの写真が折れ曲がってしまい、母のウミコは辞書を重石にして伸ばそうとしたが、シン太郎が勉強するために辞書を持ち出した結果、写真は折れ曲がったまま直らなかった。

***

その着信音は、幸せな家庭を一瞬で破壊してしまうのに十分な衝撃を持って大洋家に突如鳴り響いた。
「もしもし?」
「大洋ウミコさんですか?私、救急隊の
ラテオと言いますが……急なご連絡ですみません。先程、大洋カメオ様が交通事故に遭われまして、心配停止の状態で海亀病院に搬送しているところです。すぐに病院までお越しいただけますか?」

その後、電話を切ったかどうかも、ウミコは覚えていなかった。あまりにも動揺していたので、自分まで事故に遭ってしまうのではないかと、後になってこの時のことを思い返した。
辿り着いた病院で覚えているのは、耳障りなアラームが鳴り響く中、何人もの医師や看護師がカメオの周囲を慌ただしく駆け回っていたこと、口に管を入れられ頭から血を流すカメオの瞳が何度声を掛けられても閉ざされたままであったこと、モニターに映る緑のラインが真っ直ぐに伸びていたこと、部屋にいた医療従事者達がウミコに向かって一斉に深々と頭を下げたこと──そのどれもがあまりにも非現実的で、ウミコの頬には涙の一筋も流れ出てくることはなかった。

最愛なる人の死をウミコが理解したのは、お通夜もお葬式も全てが終わり、家に帰ってきてから数日が経った後のことだった。
小さなマンションの洋間には不釣り合いな仏壇の前で、何処からか取り出し手に持っていたカメオの写真が、ウミコに笑顔を向けているのを見た時、彼女はようやく気が付いた。
あぁ──あなたはもう、その四角い小さな紙の中から、外の世界へ出てくることは無いのですね。
そう心の中で呟いた時、それまで溜まりに溜まっていた涙が、一斉に溢れ出した。
写真を握りしめながら、まるで子供のように泣きじゃくった。

どれくらいの時間そうしていたのか、それは分からない。ただ、いつのまにかその場で眠ってしまっていたらしいウミコは、無理な姿勢で長時間いたことによる体の痛みで目を覚ました。
目の前の仏壇を見て、カメオが死んだのは夢ではないのだなと理解する。
ふと、手元に視線を落とすと、カメオの写真を力強く握りしめてしまったらしい、彼の笑顔はクシャクシャに歪んでしまっていた。

数少ない、カメオの写真だ。
もう二度と、彼の写真が増えることはない。
それに気付いて、ウミコは慌てて写真を伸ばそうとした。しかし、なかなかシワは取れてくれない。
だからと言って大切な彼の写真を、捨てるなんてとても出来なかった。
何かを重石にして、写真のシワを取れたら──そう思い、ウミコは高校生の息子であるシン太郎の部屋から、長いこと使われていなかった国語辞典を拝借し、それを写真の上に置いた。

これで、よし。しばらくの間、重たい思いをさせるけどごめんね。ウミコはカメオにそう謝って、ふと辺りが暗くなっていることに気付いた。
おそらくもうすぐシン太郎も学校から帰ってくることだろう。そろそろ晩御飯の準備をしなければならないことを思い出す。食欲は湧かないが、カメオとの間に生まれた大切な子供には、これ以上心配をかける訳にはいかない。そう思い、ウミコは買い物に出かけることにした。

ウミコが家に帰ると、マンションの室内には明かりが灯っていた。シン太郎が帰ってきているらしい。
荷物をキッチンに置いてリビングに入ると、そこにはポツリとカメオの写真が取り残されていた。その顔には、シワが入ったままだ。
あれ?と首を傾げ、ウミコはシン太郎の部屋をノックした。
「シン太郎、おかえりなさい。開けても大丈夫?」
良いよと返事が返ってきたので戸を開けると、机に向かうシン太郎の姿があった。
参考書と、重石にしていた辞書を開いている。
「えぇ!?シン太郎、勉強してるの!?」
驚いてウミコが言うと、シン太郎は恥ずかしそうに頬を掻いた。
「ちょっと、ね……」
父親が亡くなったことでの心情の変化が、シン太郎の中にもあったのだろう。もしかしたら、リビングに置いたままのくしゃくしゃになったカメオの写真を見て、ウミコが泣いていたことに気付いたのかもしれない。
母親に心配を掛けまいと、勉強する姿勢を見せる息子。いつのまにか彼も、随分と大人になっていたらしい。
「……三日坊主で終わらなければ良いけどね」
「だ、大丈夫だよ」
そう言って再びシン太郎は机に向かう。カリカリと、シャープペンシルの芯が走る音がした。そんな彼の後ろ姿を、ウミコは頼もしく思った。

さて、そうなると辞書は使えなくなってしまった。あの重さがちょうど良さそうだったのだけれど、彼がやる気を出しているのならば仕方がない。
他の重石を──と思ったが、やめた。
カメオが表情を険しくしたのは、ひょっとしたらシン太郎があまりにも勉強をしないので怒っているからなのかもしれない。
だとしたら彼が真面目に勉強を続けてくれるように、カメオには厳しい父親で居続けて貰おう。
ウミコはそう考えて、そっとシン太郎の部屋の扉を閉めた。そして、リビングの机の上に置いたままにしていたカメオの写真を手に取る。

「その日までずっと見守っていてね、カメオさん」

眉間にシワを寄せたままのカメオに向かって、ウミコはそう囁いた。

いつの日かシン太郎が立派に育ち、彼にあの辞書が必要なくなった時。
その時になったらカメオもきっと、笑顔を取り戻してくれるに違いない。


出題者:
参加するには または してください
パトロン:
アシカ人参
と 匿名パトロン 3 名
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Cindy