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旅の始まり

[ウミガメのスープ]

100歳を越えても一人旅を続けるスーパーお爺ちゃんとして有名だった海野カメゾウ。
そんなある日、旅先で自らが世界最高齢になったという知らせを駆け付けた新聞記者から聞かされた。
「何歳まで旅を続けるのですか?」と問われたカメゾウは「今日で旅は終わりです」と答えると、その日を境に本当に一人旅を辞めてしまった。
何故だろう。


出題者:
出題時間: 2020年12月12日 20:44
解決時間: 2020年12月12日 21:04
© 2020 エルナト 作者から明示的に許可をもらわない限り、あなたはこの問題を複製・転載・改変することはできません。
転載元: 「旅の始まり」 作者: エルナト (Cindy) URL: https://www.cindythink.com/puzzle/5212
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***要約***

初恋の相手であった亀野タエを探し続けていた海野カメゾウにとって、自らが世界最高齢となったという知らせは自分よりも誕生日の早いタエが既に死んでいるということを意味していたから。


***超長文解説***

海野カメゾウは海野財閥の確固たる地位を確立した海野カメ太郎の一人息子としてこの世に生は育んだ。
大学卒業後、若くして父の会社を引き継ぎ社長として働き始めたカメゾウは、すぐにその真価を発揮し、財閥の資産を何倍にも増やすことに成功した。
家を買い、車も買い、着る物も食べる物にも困らなかったカメゾウにとって、唯一手に入れることが出来なかったもの。
それは、生涯を共にするパートナーの存在だった。
色恋沙汰には目も暮れずただひたすらに働き続けたカメゾウは、ふと気が付けば定年となる歳を迎えてしまっていた。
決して、彼がモテなかったという訳ではない。
人柄も良く誰からも好かれていた彼に言い寄る者は多かったが、資産目当ての女性も多く、カメゾウ自身がその気にならなかったということも大きかった。

ただ、過去に一人だけ、そんな彼を心から愛してくれた人物がいた。
高校生の時、彼が初めて恋をした人物。
クラスメイトの亀野タエという女性だった。

誰にでも優しく笑顔が素敵なタエは成績も優秀であり英才教育を受けていたカメゾウにも劣らぬほどであった。当時は大企業の息子として距離感のある付き合いをする者も多かったが、タエは誰にでも分け隔てなく接することのできる性格であり、そんな裏表のない彼女にカメゾウは心を奪われていった。

今振り返って考えると、社会で渡り歩く為の処世術は、彼女から教えられたようにさえ思える。それだけタエの存在はカメゾウにとって大きなものであった。
だからこそ、カメゾウは必死で彼女に近付こうと努力した。お金の力は借りず、ありのままの言葉で、彼女と会話を交わすように努めた。
その甲斐あってか、次第に二人は惹かれあい、高校三年生の春に交際を始めることになった。

だが、現実というものは残酷である。
卒業を間近に控え将来本気で結婚することも考えていたカメゾウ達であったが、そのことを知った父・カメ太郎は激怒した。
何故なら、タエは貧しい家の育ちであったからだ。
身分の違いで叶わぬ恋──そんな物語の世界でしか知らないような出来事が自らの身に起こるとは、カメゾウは思いもよらなかった。
高校を卒業しカメゾウは大学へ進学、タエは就職したことをきっかけとして、二人が会うことは無くなった。
それがカメゾウにとって最初で最後の恋であった。

定年退職を迎え優秀な部下に社長の座を譲ったカメゾウは、彼以外誰もいない広いリビングのソファーに腰掛けると、当時のことを懐かしく思い出した。
「今でも元気にしているかな、タエさん」

そんな独り言に答えてくれる家族はいない。
チクタクという時計の針の音と、ブランデーの注がれたグラスを机の上に置く音だけがただ聞こえていた。

この家には、いろんな物があった。
有名な画家の描いた絵、高価な宝石、巨大なベッド、豪華なシャンデリア、グランドピアノ──それでもまだ足りないもの。
お金ならいくらでもある。
残りの人生は、その足りないものを探すことに費やそう。
探すと言っても、手に入れられなくて構わない。声を掛けることさえできなくても良い。

ただ、ひと目で良いから──会いたい。

「父さん、今ならもう時効でしょう。僕の勝手なワガママを、どうか許してください」
父の写真を前にそう呟くと、カメゾウは立ち上がった。
彼の恋を邪魔するものはもう何も無かった。

一人旅を始めたのはこの時からであった。
日本の北の果てから街を一つ一つ尋ねて歩いた。5年、10年と時は流れ、少しずつ南へと旅を続けていく。
ただ、亀野タエと出会うために。

今振り返って思うと、昔の友人を頼ればすぐに見つけられたのかもしれない。
でも今更になってどんな顔をして彼女に連絡を取れば良い。
自らの意思ではなく父親の障害が理由であったとは言え、一度は彼女を捨てた身なのだ。
出会うとするならば、偶然すれ違うような、そんなものでなければ意味がない。

そう思い、誰にも旅をする理由は告げず、残された財産を頼りに旅を続けた。

気が付けばこの世に生を受けて100年以上が過ぎていた。
旅を始めた当初はひたすら歩き続けることもできていたが、流石にこの歳になってバスや電車を利用する機会も増えてきた。
もう日本を何周したかは分からない。
もしかしたら彼女はもう既にこの世にいないのではないか。
そんなことも考えはしたが、できるだけ気付かないフリをしてきた。

あの、新聞記者に出会うまでは。

「突然すみません。海野カメゾウさん、ですよね? 100歳を過ぎても旅を続けておられるという……」

「えぇ、そうです。あなたは……?」

「名乗るのが遅れて申し訳ございません。私、太平洋新聞のスズキと申します。海野さんは、既にあの記録のことについてはご存知でしょうか?」

「いえ……」

「そうでしたか、実は、先日海野さんが世界最高齢のギネス記録保持者になられたとお伺いしまして、その御祝いの言葉を届けたいのと、御感想をお尋ねしたくて東京からお伺い致しました」

彼の言葉を、カメゾウはすぐには理解出来なかった。

「世界最高齢……?私が?」

「えぇ、おめでとうございます!」

あぁ。そうか。そういうことか。

「おめでとう、か……そんなに私は歳を取っていたのですか」

そう答えながら、カメゾウは目を伏せた。涙が溢れるかと思ったが、いつの間にか涙も枯れるほど年老いていたらしい。その瞳からは何も流れ出てはこなかった。

「早速ですが、いくつかお尋ねしても良いですか?」

「えぇ……なんでしょうか」

「海野さんは、一人旅を続けておられるとのことですが、何歳まで旅を続けられるのでしょうか?」

瞼の裏に、タエの笑顔が浮かぶ。

100年以上経った今でも、鮮明に覚えていた。

彼女の名前、表情、当時住んでいた場所、カステラが好きなこと、納豆が嫌いなこと、そして──誕生日も。

11月2日。

早生まれのカメゾウは、2月8日。

そして、世界最高齢になったという知らせを聞かされたこと。

「残念ながら……」

不思議と、声は震えなかった。

「今日で旅は終わりです」

スズキと名乗る新聞記者はポカンと口を空けていた。

「もう、旅をするのは疲れました。私の長い長い旅は、これで終わりです」

カメゾウはスズキに向かってペコリと頭を下げると、彼に背を向けてその場を立ち去った。

──ありがとう、スズキさん。私に現実を教えてくれて。

そしてタエさん。あなたがそっちの世界にいるのなら、私ももう長生きしている意味もない。

あぁ。長かった。

ようやくだ。

ようやく私は、あなたに会えるのですね。

.

.

.

***

スズキはタバコの火を灰皿に押し当てると、フゥと長い溜息を付いた。
数日前に取材に訪れたばかりの海野氏の訃報を聞いたのはほんの数時間前のことだ。
せっかく書き上げた海野氏の記事も、残念ながら日の目を見ることは無いだろう。

「山上さんが亡くなって、海野さんが亡くなったということは、次の最高齢は……ううむ、日本人ではないのか」

海野氏と出会ったあの日、淋しげな笑顔で会釈した彼のことが気になり、スズキは海野氏の腕を思わず掴み引き止めた。だが、何の言葉を掛けることもできず、せっかくなので最後に写真を撮らせてくださいとお願いすることしかできなかった。

彼にはきっと、旅を続ける深い理由があったのだろう。
100年以上もの長い年月を生きてきたのだ。何も無いはずがない。
ただ、残念ながら今となっては知る由もないことである。

そういえば、海野氏の前に世界最高齢であった山上氏は、死に際にこんなことを言っていたらしい。

『最後に、一度で良いから会いたかった』

誰のことかは分からないが、そう言って涙を流して息を引き取ったそうだ。
もしかしたら海野氏にも、そんな最後にひと目みたい何かがあって、旅を続けていたのかもしれない。
なんとなく、そんな風に思えた。

スズキは胸ポケットから、海野氏の写真を取り出すと、机の上に置いていた山上氏の写真の横に並べた。

ふと、近い日に亡くなった二人は、今頃あの世で出会っているのかもしれないなと思った。
おそらく面識は無いだろうけれど、確か二人は同い年だったはずだ。
案外、話してみると気があったかもしれない。
そんなことを考えながら、スズキは手を合わせる。

「海野カメゾウさん。山上タエさん。どうか──どうか、安らかにお眠りください」

スズキはそっと目を閉じて、そう祈りを捧げた。


出題者:
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パトロン:
アシカ人参
と 匿名パトロン 3 名
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Cindy