会話型亀夫君問題が大好きな出題者。
あくまでも出題者なので、質問者として参加することはないような気がする。
亀夫君問題の人気がないのは知っているので、出題しても解く人が集まらないのは覚悟している。
「亀夫君問題」というジャンルを選んだ時点でチャームとやらがだだ下がりするというわけか。
さらに闇ともなれば、ハードルも高くなる。
忌むべきチャームレス問題と言われても仕方ないだろう。
それでも人を集めたければ、最高級の出題者ブランドと、ジャンルにこだわらない貪欲な参加者が必要となる。
そんなものが、どうやれば手に入ると言うのだ?
わかっているけれど、出題したい気持ちは抑えられなかった。
ただそれだけのこと。
一般に、回答者が真相を知らない・嘘をつくことがある等の設定で回答するのが「亀夫君問題」の最大の特色である。
現実には、よほどのことがない限り出題者が正解を知らないことはないので、「頼りない回答」は出題者の演技であったり、そもそも回答者に人格がない(GMとして現象だけを説明する)場合がほとんどだ。
参加者もそれを分かった上で、出題者の演技にお付き合いして問題を解決していくというスタイルで進行する。
回答が頼りない代わりに、質問の自由度は通常のウミガメのスープよりはるかに高い。
一定のパターンに押し込められたウミガメのスープの質問とは異なり、時には質問者の演技が許されることも相まって、質問者と回答者が臨場感ある丁々発止の会話を楽しむことも可能となる。
これはエンターテインメントとしての「亀夫君問題」の魅力である。
亀夫君問題がウミガメのスープジャンルに比べて非現実要素のある作品が多いのも、回答の中で世界観を語る楽しみがあるためだと考えることができる。
一方、質問の自由度の高さはゲームとしての欠点ともなる。
まず、参加者の自由な発想にまかせて行きあたりばったりに回答していると、余分な情報が増えたり破綻を来したりして、質問者を迷走させてしまう可能性が高くなる。
また、複数参加型の場合、時々参加者の方針がまちまちになってしまうことがある。
特に「マルチエンド」と宣言があった場合に顕著で、どのエンドを目指すかという点で意見が分かれてしまうことがある。
あるいは、特定のエンドを目指している他の参加者たちの意向を全く無視して、意図的に別のエンドに向かわせるような質問をしてしまう人がいたり、たったひとつの質問ミスで思わぬバッドエンドを招いてしまったりすることもある。
だからと言って、逆に、推理系アドベンチャーゲームやデボノのように質問文に強い制限があると、進行はほぼシナリオ通りになってコントロールが容易なのに対し、参加者の「自分で質問内容を考えている」「自分の言葉で質問している」という臨場感を減じさせる結果になる。
(ほとんどすべての選択肢を読んでフラグを立てまくらないと先に進めない推理アドベンチャーゲームがたまにあるけど、単に段落の出てくる順が選べるだけでストーリーの分岐もないようでは、「小説サイトに載せた方が読みやすい分マシ」という結果になっていて、本当に残念である。)
質問の自由度を維持しつつ臨機応変に対処し、進行をコントロールしていく……となると、まだまだ機械的システムよりもリアルタイムで対応する人力の方が上であるというのが私の考えだ。
そして、人力に頼った「亀夫君問題」には、場面ごとに変わるイラストもCVもない地味なゲームだけど、計り知れないほど大きな魅力があると思うのだ。
サイトを問わず、亀夫君問題は出題頻度が低い。
闇スープならなおのことだ。
進行の難しさは、質問者の苦手意識をいや増し、参加のモチベーションを低下させる。
また、問題の性質上、問題文と解説の関連がわかりにくく、丁寧に順を追って質問&回答を読まないと、一体どういう問題だったかのかすらつかめないことがある。
つまり、参加していない閲覧者にとっても、割と面倒くさい存在なのだ。
当然評価やコメントがつきにくくなる。
良評価がつきにくいだけでなく、そもそも批評の対象にすらなりにくいのである。
出題者が何らかのフィードバックを期待している場合、亀夫君問題は他ジャンルに比べて効率が悪いということになる。
「そもそもニーズが少ないのに、苦労して問題考えるなんて何やってるんだ私…」と我に返ってしまったら、そこで作問の手は止まる。
そんな経験は自分にもある。
典型的な負のスパイラルである。
しかし、私は亀夫君問題が大好きなのだ。
解く方も好きで、参加したい気持ちは常にある。
(しかし、あいにく出題に出くわすことは少ない。)
だからなおのこと、闇常駐の亀夫君問題があったら……と思うのだが、残念ながら出題中に遭遇したことはない。
「だったら自分で出せばいいじゃなーい」と思って作ったのがこの問題だ。
もちろん自分の参加欲求は全然満たせていないのだけど、少しでも亀夫君問題の愛好者が増えれば、参加機会も増えるかもしれない……何だか布教活動の気分。
私の出題が失敗したとしても、私の問題を礎にして他の方が出題してくれるかもしれない。
失敗がどこかで吟味・分析されて、巡り巡って良問を生む。
もし、その過程に自分が関われたなら嬉しい。
そしていつか、素晴らしい闇亀夫に参加できたら……
「なかまはずれ」を出題したら、参加者のおひとりに「闇亀夫出題先を越された」と言われてしまった。
最初は「先を越されるも何も、誰もが好きな時に出せば良いはずでは?」と不思議に思ったのだけど、闇亀夫が2問出題されていると参加者がバラけることを懸念したものだったのだろうかと後で考え、ちょっと申し訳なく思った。
実を言うと私にも、競合を気にして「現在出題されている亀夫君問題(非闇)が終わった頃に出題しようかなー」と思っていた時期があった。
その後「なかまはずれ」の出題は3学期末が最適期だということに気づき、他の問題との兼ね合いを考えている場合ではなくなったのだけど。
本当は、そんなこと考えなくて済むくらい亀夫君問題参加の愛好家がいればいいんだけど。